美しく偉大な神様の愛の物語をご紹介します。
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일본어 공식본
일본어 공식본의 대본과 성경 본문을 확인하세요神様は霊であり、ご自身によって存在されるお方です。
全知全能の神様が、宇宙とすべてのものを創造されました。
初めに、神は天と地を創造された。
神様は創造主であり、すべてのものの主です。
造られたものの中に、神様のかたちに造られた特別な存在がいます。
神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。こうして人は生きるものとなった。
神様は、ご自身のかたちに人を創造されました。
人を創造された神様は、たいへん喜ばれました。
そして神様は、人に贈り物を与えられました。それは何でしょうか。
それは、祝福です。
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
神様が与えてくださった祝福とは、具体的にどのようなものでしょうか。
生み、増え、地に満ち、地を従え、そして治めることです。
神様は、すべてのものを人に許されました。
しかし、ただ一つだけ、決してしてはならないと禁じられたことがありました。
神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
その禁止命令は、「その木の実を食べてはならない」というものでした。
神様は、その命令に背けば必ず死ぬと厳しく警告されました。
その禁止命令は、決して越えてはならない境界線のようなものでした。
それは、創造の秩序を覚え、それを守るようにという宣言でした。
神様は、人に自由意志を与えられました。
では、人はその禁止命令にどのように応えたのでしょうか。
女がその木を見ると、それは食べるのに良さそうで、目に慕わしく、また賢くしてくれそうで好ましかった。それで女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
残念なことに、彼らは蛇の誘惑に負けてしまいました。
アダムとエバは、禁じられた実を食べました。
彼らは神様のことばに従いませんでした。
この不従順は、創造主である神様が定められた境界線を越えることでした。
聖書は、これを「罪」と呼んでいます。
一人の人アダムによって、罪がこの世界に入りました。
この罪は、どのような結果をもたらしたのでしょうか。
罪によって、神様と人は隔てられてしまいました。
神様と人との親しい関係が壊れてしまいました。
アダムが犯した罪と、私はどのような関係があるのでしょうか。
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
アダムの罪によって、すべての人が罪人となりました。
すべての人は死にます。しかし、死ですべてが終わるのではありません。
人間には、一度死ぬことと、その後にさばきを受けることが定まっている。
死の後には、さばきと刑罰が待っています。
罪人がさばきを受けると、どうなるのでしょうか。
罪の報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
罪の結果は死です。それは永遠の第二の死です。
第二の死とは、永遠の火の池、すなわち地獄です。
地獄で、永遠に、永遠に、永遠に、刑罰を受けることになります。
人々は、この罪の問題を解決しようと、さまざまな努力をしてきました。
良い行いをすれば救われると考えました。
神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、再生の洗いと聖霊による新生とによって、私たちを救ってくださいました。
しかし聖書は、「義の行い」では救われないと語っています。
律法をすべて守れば救われると考えました。
人は律法の行いによってではなく、ただイエス・キリストを信じる信仰によって義と認められることを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。それは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。律法の行いによって義と認められる人は、一人もいないからです。
しかし聖書は、「律法によって」は救われないと語っています。
何かの宗教を信じれば救われると考えました。
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は、人間に与えられていないからです。
しかし聖書は、「ほかの名によって」救われることはできないと語っています。
罪人は、自分の罪の問題を自分自身で解決することができません。
そのため、人は非常に絶望的な状況に置かれていました。
神様は人を深く愛されたので、ただ一つの解決の道を与えてくださいました。
それは、神の御子イエス・キリストを、この地上に遣わしてくださったことです。
では、なぜイエス・キリストが解決の道となるのでしょうか。
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、いのちです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」
そうです。イエス・キリストが救いの道だからです。
こうして、人が神様のもとへ行くことのできる道が開かれました。
では、イエス・キリストはどのようにして、罪の問題を解決する道となられたのでしょうか。
キリストは自ら、十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪に対して死に、義のために生きるためです。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされました。
罪のないイエス様が、人の罪を代わりに負って十字架で死なれました。
神の御子イエス・キリストご自身が、罪の代価を支払ってくださったのです。
イエス・キリストの贖いによって、人は罪のきよめを受けることができるようになりました。
そして、墓に葬られたイエス・キリストは復活されました。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、キリストが聖書に書いてあるとおりに私たちの罪のために死なれ、葬られ、聖書に書いてあるとおりに三日目によみがえられたことです。
そして天に昇られ、神の右の座に着いておられます。
では今、人にできること、人がすべきことは何でしょうか。
人はどのようにして、この救いの道を歩むことができるのでしょうか。
あなたがたは、恵みによって、信仰を通して救われたのです。それはあなたがた自身から出たことではなく、神の賜物です。
ただ信仰によってのみ、救いの道を歩むことができます。
ただイエス・キリストを信じることによって救われます。
イエス・キリストが、私の罪の身代わりとなって死んでくださったことを信じるのです。
イエス・キリストが自分の救い主であると信じる人が、この道を歩むことができます。
イエス・キリストを信じる人は、その身分が変わります。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる権利をお与えになった。
イエス・キリストを信じる人は、神の子どもとなります。
神の子どもとは、イエス・キリストを自分の主として受け入れた人です。
私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされ、私たちがもはや罪の奴隷とならないためです。死んだ者は、罪から解放されているのです。
信じる人は、罪の奴隷から解放され、義と認められました。
聖書は、信じる人を「義人」と呼んでいます。
罪人の身分が、イエス・キリストによって義人の身分へと変えられました。
義人には、どのような特別な恵みが与えられるのでしょうか。
まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
信じる人、すなわち義人は、さばきを受けません。
信じる人には、さばきに対する恐れがありません。
なぜ、信じる人はさばきを受けないのでしょうか。
信じる人は、死からいのちへ移されたからです。
まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
神様は私たちを愛し、この福音を贈り物として与えてくださいました。
イエス・キリストを信じ、いのちを得られるよう、祝福をお祈りします。